社長の留魂日記

前田蓮山物語!

母の従姉妹の旦那様のお友達。前田連望様が4月19日木曜日にお越しになりました。お祖父様が原敬の番記者の前田蓮山さんで、今回、前田蓮山物語を発行されました。原敬の足跡をたどりに盛岡にお越しになり、原敬と深い関わりのある当家にも原敬記念館の後、お寄りになりました。

原敬日記によると原敬が初めて衆議院選挙に出馬して当選した今から116年前!の明治35年(1902年)6月1日に選挙活動のため盛岡入りし、6月12日,当家旧宅の座敷で原敬を中心に80人の支援者を集め集会をしました。9代佐藤清右衛門が原敬の支援者だったからです。

清右衛門は北上派という、明治初期の盛岡の政財界の人々の集りに所属しており、本来であれば、原敬の対抗馬である元市長の、清岡等を応援しなくてはならない中、若い頃修行をした小野組の小野慶蔵が原敬の支援者だったため原敬の支援にまわり原敬を当選させた有力者の一人でした。原敬はその後大正7年(1918年)についに総理大臣になります。しかし大正10年(1921年)に東京駅で暗殺されてしまいます。当選してから暗殺されるまでの19年間、原敬は頻繁に盛岡に帰盛。今のホテル東日本にあった介寿荘という別邸で園遊会を開き、清右衛門達支援者を招いてもてなしました。支援者を非常に大事にする原敬でした。

平民宰相・原敬の誕生に9代目が貢献した事は徳清家としても誇り高い事です。そんなお話や資料を前田様に差し上げて、旧宅の原敬の集会を開いた座敷等々を短い時間でしたがご案内しました。分厚い 前田蓮山物語 を頂戴し、これからゆっくりと拝読したいと思います。

購入方法は psmaeda@yahoo.co.jp 前田連望様までお申し込みください。 振り込み用紙が送られてきます。

皆様もご一読ください。前田様のご来訪で久々に原敬と当家の結び付きに心をはせました。初春の暖かい春の1日。庭の白梅も綺麗にさきました。

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