1月6日。このHPの仙北町散歩にもある元岩手川さん裏の高屋稲荷神社が、150年ぶりに御神体が大宮神社に合祀され、祠は取り壊されて更地になりました。昔は町内会の例会や、色々な行事に使われていた祠でした。土地所有者の方が亡くなり、遺族の方が盛岡市に土地を寄付。それを当町内会仙睦会が借受ける事になりました。祠は老朽化が激しく管理が大変なのと、隣接する仙睦会公民館との一体的な活用のため取り壊し更地にされ、町内会のために今後活用される事となりました。町内会の重鎮の方々にこの祠がいつから建っていたか伺っても皆さん、子供の頃にはあったという事で明治?大正のあたりには建っていたと思われます。やはり見慣れた風景が無くなるのは一抹の寂しさがありますね。写真は昨年12月末、そして今年1月6日取り壊し後の風景です。町内会のためにやくだつといいですね。仙北町散歩の高屋稲荷神社の説明文もつけておきます。
高屋稲荷神社
宝永5年(1708) 南部家第三十二代南部利幹公の時代に仙北町、川原町を結ぶ新山舟橋、旧明治橋に通じる沿道に五穀豊穣、城下の往来者等の旅路、舟路の安全の神として伏見稲荷より勧請したといわれています。江戸時代は、北上川舟運(しゅううん)の水主の信仰が厚く手洗い石等が奉納されました。明治の廃仏毀釈の時に大宮神社に移されましたが、地元の人々の信仰が厚く再び現在の地に戻され祀られました。